「パンク」を経営の基礎に置くイギリスのビール会社が世界中で急成長している。ただ若者のファンを獲得するための「味付け」としてパンクを標榜しているわけではない。それは、「メタファー」として機能しているという。一体どういうことだろうか。

前回から読む)

 世界中で熱狂的なファンを獲得するBrewDog(ブリュードッグ)。その快進撃はとどまるところを知らない。2015年の売上高は前年比51%増の4473万ポンド(約65億円)、直近5年間の売上高の伸び率は平均69%、営業利益の伸び率は平均12%である。

 資料によると、従業員は580人(2015年12月)。オフィシャルバーは世界中に45カ所。世界50カ国にビールを出荷。もはや、いわゆる「地ビール会社」の枠を超えて、世界的な飲料企業として成長を遂げている。2017年にはアメリカのオハイオ州に2カ所目となるブルワリーがオープンする予定で、また蒸留酒(スピリッツ)に参入し、「ローンウルフ」というブランドを立ち上げる。

BrewDogの創業者たち。猫の剥製をヘリコプターから落とすキャンペーンを行った。
BrewDogの創業者たち。猫の剥製をヘリコプターから落とすキャンペーンを行った。

 BrewDogの共同創業者であるジェームズ・ワットは、自分たちの会社の事業は「パンクの精神」を基礎に成り立っている、とその著書『ビジネス・フォー・パンクス』に書いている。BrewDogの主力銘柄は「パンクIPA」であり、ファンがクラウドファンディングを通じて取得する株は「パンク株」と呼ばれている。(パンクIPAは、イギリスで最も買われているクラフトビールであり、「パンク株主」は現在4万人にのぼっている)

ビール会社がなぜ「パンク」を標榜するのか

 ビール会社が「パンク」を掲げ、それに共感したファンがビールを飲む。それだけなら、ちょっと味付けの変わったマーケティングだとも言える。ではなぜ「パンク」なのか。「パンク」にはどういう意味があるのか。もっと言えば、「パンク」でなくても良かったのではないか(例えば、同じ音楽のジャンルである「レゲエ」や「ヘヴィメタル」でも良かったのか?)。ファンの中には、パンクロックを聴いておらず、ただビールがうまいという理由でBrewDogを飲み続けている人もいる。

 「経営理念」(ビジョン)を掲げる企業は多い。経営理念が指針となり、従業員は日々の業務に勤しむ。だが、BrewDogにとっての「パンク」は経営理念とも微妙に違う。だからこそ、本当にBrewDogの成長を牽引しているのが「パンクの精神」なのであれば、それが一体どのように作用しているのかを明らかにすることには意味があるはずだ。

 そのカギは、『ビジネス・フォー・パンクス』の巻末に収録されている「解説」に記されている。本書の「解説」で、一橋大学の楠木建教授はこう記している。

著者はパンクというメタファーを軸にして思考し、一つひとつの意思決定をし、それを実行している。著者の経営にとって、パンクという価値観は、言葉の本来の意味での基準になっている。それはいたってシンプルな基準である。「それはパンクかどうか」を自問自答すればおのずと答えは出てくる。パンクなことをやり、パンクでないことはやらない。パンクな人材は採用するが、パンクでない奴は「ブリュードッグ号」には乗船させない。

 パンクは「メタファー」であるというのだ。行動の基準や判断の基準になるという意味では経営理念に近いが、それを「メタファー」としてとらえているのである。ここが新しいのではないだろうか。

 BrewDogは、数々のキャンペーンで物議をかもしてきた。ロンドンの街をソ連製の戦車で駆け抜け、ヘリコプターから猫の剥製をばら撒き、大手企業のビールを粉砕する動画を公開した。そのいずれもが「パンクだねぇ」と唸らせるものだ。

 それだけではない。パンクには、自分たちに必要なものは自分たちでやるという「DIY(Do It Yourself)」の考え方がある。アンダーグラウンドシーンで活躍したイギリスのパンクバンド「クラス(Crass)」は、レコード会社が自分たちの思うようにプロモーションしてくれないことに腹を立て、当時誰もやっていなかったインディペンデント・レーベルとして「クラス・レコード」を立ち上げた。印刷機も自前で用意してレコードジャケットを制作することもあったという。

「キャッシュは酸素であり、血液だ」

 ジェームズ・ワットは、パンクバンドのDIY精神にならい、独立独歩で会社を運営するために、財務・会計を徹底的に学んだ。『ビジネス・フォー・パンクス』では、かなりのページを割いて、ベンチャーが生き残るための財務・会計の知識について、独特の言葉で語っている。

一番大事なのは利益じゃない。利益はナンバー2ですらない。(中略)キャッシュこそ絶対王者だ。利益はただの手段であって、目的ではない。しかし、キャッシュはわけが違う。キャッシュは酸素であり、血液だ。

 一橋大学の楠木建教授によると、パンクがメタファーとして優れているのは、それが単に音楽のジャンルを表すのではなく、「さまざまな要素を包括して凝縮したコンセプト」だからだ。ジャンルを超えた価値基準となり、文化として定着しているからこそ、企業活動から個人の生き方にいたるまで普遍的に活用できる。

 会社という組織の中に文化として「パンク」を定着させるために、ジェームズ・ワットらは企業憲章を作った(前回の記事参照)。「我々の血管にはクラフトビールが流れている」「我々はひとりでは何者でもない――我々はBrewDogとして存在する」と、これまた独特の言い回しで構成されている企業憲章は、多くの社内のメンバーとディスカッションをしながら練られていったという。

 抽象的ではあるが、具体的な価値基準として機能するメタファーを獲得すれば、企業は強くなる。「解説」から引用しよう。

具体的なレベルでパンクなことを選択し、次々に実行していく。そうした実験の試行錯誤の中でさまざまな成功や失敗が生まれ、学習が蓄積される。こうした一連の過程を重ねることによって、起点にあるパンクの精神についての理解もまた深まり、豊かになっていく。(中略)ようするに、それがメタファーであるがために、パンクという価値基準の定義は具体と抽象の往復運動を起こしやすいのである。ここにメタファーの強みがある。

 これを読むと、経営理念とは違うメタファーの機能がわかってもらえるだろうか。

 キャリアを積んでも、組織に所属していても「パンクな姿勢で仕事をしていきたい」と思っている人は多い。だが、現実にはさまざまなしがらみがそれを阻む。だからこそ、『ビジネス・フォー・パンクス』は多くの人に受け入れられ、「かつてのハングリー精神を取り戻さないと」という感想がSNSなどに書かれた。

この本に書いてあることを信じるな!?

 本を読んでも、「参考にはなるが、著者のやっていることを真似はできない」ということはよくある。実際、ジェームズ・ワットのやっていることはほとんど真似できない。だが、それでも多くの共感を得たのは、「人の話は聞くな。アドバイスは無視しろ」という過激なメッセージを連発したあとに、本の最後でこんなふうに読者を突き放したからではないだろうか。

ぼくは、人のアドバイスは聞くなと言った。それはこの本に書いたことすべてにも、無条件で当てはまる。

 ネタバレするようで申し訳ないが、ここに著者のいう「パンク精神」のすべてが凝縮されているような気がするのである。

 一橋大学の楠木建教授は、「解説」をこんなふうに締めくくっている。

自分の仕事と生活を貫くコンセプトをメタファーで獲得する。経営者であろうとなかろうと、これこそが仕事の一丁目一番地に他ならない。著者にとっては、それがパンクであり、パンクの精神でつくったクラフトビールだった。
 この本を手にとっている、あなたにとっての「パンク」とは何か。これから読もうという人は、この問いを念頭において読み進めてもらいたい。すでに読み終わった人は、改めて自問自答してもらいたい。本書を読むことによって、その答えが見つかったとしたら、著者も本望だろう。本書から得られる最大の価値はそこにある。

渋谷のBOOK LAB TOKYOで開かれた出版イベント。起業家の鶴田浩之氏、著述家の石黒謙吾氏によるトークセッション。
渋谷のBOOK LAB TOKYOで開かれた出版イベント。起業家の鶴田浩之氏、著述家の石黒謙吾氏によるトークセッション。

 2016年9月16日に渋谷のBOOK LAB TOKYOで開かれた本の出版イベントには、場所柄か若い起業家、投資家が集まった。学生のころに起業し、BrewDogを愛飲しているという20代前半の若者も多かった。彼ら彼女らの中から、独自のメタファーを備えた元気な企業が日本を変えていくことにも期待したい。

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