[【電子号外】有権者4分の1超確実 県民投票 知事、日米通知へ (琉球新報 2019年2月24日)↑]
日刊ゲンダイのコラム【斎藤貴男 二極化・格差社会の真相/本土の人間も沖縄の痛みを共有しなければ「明日は我が身」】(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250990)。
東京新聞の社説【琉球処分140年 苦難を振り返りつつ前に】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040102000161.html)。
琉球新報の【<社説>廃琉置県140年 植民地主義から脱却せよ】(https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-898326.html)。
《「沖縄は米国の植民地ではない。私たち沖縄県民は、米国民との友好は望むが、服従は望んでいない」――。》
《明治政府が琉球王国を強権的に解体し、沖縄県を設置した「琉球処分」から百四十年。今も構造的差別が続く沖縄の状況に心を配り、未来を応援したい… ◆繰り返される理不尽 明治政府が自ら「処分」の言葉を使ったように、この廃藩置県は一方的に強権をもって行われた。忘れてはならないのは、沖縄を隷属させるかのような理不尽がその後も繰り返されていることだ》。
《140年前の琉球の人々が今の沖縄を見たら何と言うだろうか。当時から連綿と続く植民地支配のにおいをかぎ取るに違いない》。
『●辺野古破壊という大愚を続行…民意無視、
《地方自治や民主主義、県民の尊厳をどう考えるか…自身の見解を》』
『●武藤類子さん《沖縄で闘っている人の言葉…
「国を相手にケンカしたって勝てない。でも、おれはやるんだ」》』
『●与那国島や石垣島、《沖縄は名護市辺野古だけでなく、
宮古島もまた国防のために政府に翻弄されている》』
『●虚偽説明…《宮古島では、島民の基地負担は
ますます重くなっている。政府がやってるのはいじめそのもの》』
「《いじめそのもの》。《石嶺香織さん(38)は「防衛省は、住民に事実を
明らかにして説明する義務がある。『住民を守る』と言いながら、
実際は安心できない生活環境を押し付けている。沖縄戦の記憶から、
弾薬庫が真っ先に攻撃されるのは明らか。再び島が標的にされる」と訴える》」
『●沖縄イジメ…《この74年間、沖縄戦以来、陸兵が軍服を着て
宮古島を闊歩する姿など誰も見たことはない》』
N値がゼロ、工期と費用は「∞」…今日もドブガネし、ジャブジャブと大量の土砂を辺野古の美ら海にぶちまけている。
民意無視、《地方自治や民主主義、県民の尊厳》を踏みにじり…。
ブログ【海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊/K8護岸建設に抗議行動】(https://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/33faa66f33c039328d6f482b661dbcba)によると、《辺野古の海・大浦湾で破壊されているのは風景だけではない。海そのものが破壊され、民主主義や沖縄の民意も破壊されている。新元号の宣伝に躍起となっているマスコミにはうんざりさせられるが、安倍首相にとっての「和」とは、機動隊や海保といった暴力装置に命「令」して沖縄県民を屈服させ、自分の思い通りにすることなのだ》。
沖縄では、今も続く〝処分〟…《第四の琉球処分》。
いまだに、アベ様や最低の官房長官ら、《日本政府のやり方は人でなし以外の何物でもない》、《イヤガラセの陰湿さときたら超の字がつくほど》であり、《もはや植民地主義と言うほかない》。
『●【政界地獄耳/問答無用の自治破壊実行する政府の怖さ】
《民意も海に埋める》…民主主義国家がやること?』
《琉球新報「辺野古へ土砂投入 第4の『琉球処分』強行だ」。
沖縄タイムス「辺野古 土砂投入強行 自治破壊の非常事態だ」
としたが、本土の新聞はどうだろうか。》
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【https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/250990】
斎藤貴男 ジャーナリスト
1958年生まれ。早大卒。イギリス・バーミンガム大学で修士号(国際学MA)取得。日本工業新聞、プレジデント、週刊文春の記者などを経てフリーに。「戦争経済大国」(河出書房新社)、「日本が壊れていく」(ちくま新書)、「『明治礼賛』の正体」(岩波ブックレット)など著書多数。
二極化・格差社会の真相
本土の人間も沖縄の痛みを共有しなければ「明日は我が身」
2019/04/03 06:00
「沖縄は米国の植民地ではない。私たち沖縄県民は、米国民との友好は望むが、服従は望んでいない」――。
沖縄県議会が先月27日、米国大統領宛てに決議した要求の一節だ。名護市辺野古での新基地建設について、その断念を求める趣旨であることは言うまでもない。
同県は2月に建設の賛否を問う県民投票を実施。「反対」票が70%以上を占めたが、民意を顧みるつもりなど日本政府には毛頭ない。玉城デニー知事が結果をアベ首相に通知してから1カ月も経たない25日には再び、新たな埋め立て区域への土砂投入を強行している。
県議会はそこで、地方自治法99条に基づき、「県民投票の結果を尊重し、辺野古沿岸部の埋立工事をただちに中止し、新たな米軍基地建設を断念することを求める意見書」を可決し、政府に提出。一方で、基地を置いている当事者に他ならない米国に対しても、冒頭の主張を盛り込んだ要求となった。
意見書にも米国への要求にも、占領時代の沖縄で高等弁務官を務めていたP・W・キャラウェイの「沖縄の自治は神話にすぎない」という発言が引かれている。強権統治の代名詞“キャラウェイ旋風”と同様に、「(工事の続行は)沖縄県民には地方自治も民主主義も適用されないと言っているのに等しい」と続く。
沖縄の人々の憤怒や怨嗟や、たまりにたまったマグマのような感情が、激しく伝わってくる。県議会でも自民党は決議に反対し、公明、維新は退席していたけれど……。
日本政府のやり方は人でなし以外の何物でもない。
県民投票の前から、結果にかかわらず工事は続行すると公言。そのくせイヤガラセの陰湿さときたら超の字がつくほどで、宜野湾市やうるま市など5つの市の首長に新設の沖縄振興特定事業推進費のアメ玉を突き付けて不参加を表明させたり(最終的には参加)、ホワイトハウスの請願サイトで新基地反対の署名活動をしているハワイ在住県系4世ロブ・カジワラ氏を入管で軟禁し、県民投票が終わっても警察の公安部門が調査・監視を継続していたり。
集団的自衛権の行使を容認した安全保障法制が施行されて3年。初年度はゼロ、2年目も2件だった米軍の軍艦や軍用機を自衛隊が防護する活動が、昨年は8倍の16件にハネ上がった。
本土の人間も沖縄の痛みを共有する必要がある。何度でも言う。このままでは日本人みんなが米国の傭兵か奴隷にされる。抗おう。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2019040102000161.html】
【社説】
琉球処分140年 苦難を振り返りつつ前に
2019年4月1日
明治政府が琉球王国を強権的に解体し、沖縄県を設置した「琉球処分」から百四十年。今も構造的差別が続く沖縄の状況に心を配り、未来を応援したい。
北京市の郊外、通州区の果樹園の一角に立つ「琉球国墓地跡」の看板。「清朝時代、琉球国からやってきた進貢使、陳情使ら十四人を共同で葬った…」。脇には由来を記した中国語の案内板がある。
墓地跡とはいえ、ほかには雑草地を囲う鉄柵だけ。訪れる人はめったにない。しかし、ここは琉球処分が琉球人にとっていかに屈辱的だったかを物語る場所だ。
◆救国訴えた「脱清人」
眠っているのは、沖縄で「脱清人(だっしんにん)」と呼ばれる琉球王国の士族たち。琉球処分の前後、日本併合にあらがって朝貢・冊封(さくほう)(中国皇帝が国王を承認する)関係にあった清に渡り、亡命したり救国を訴えたりした。その数は百人以上。北京のほか天津や福州で活動した。
しかし願いはかなわず、滞在中に病死、あるいは自死した琉球人を中国側が手厚く葬ったという。
北京では墓碑などが散逸、埋没していたが、又吉盛清(せいきよ)・沖縄大客員教授が現地調査で場所を特定。中国側の日本研究者らを通じて市政府に保存を働き掛け、三年ほど前に地元役場によって看板が立てられた。
「平和国家・琉球を守る使命を担い死んでいった祖先を評価することは、基地問題など沖縄の今日的な課題を見つめることにもつながる」と又吉氏。又吉氏ら県民有志は最近二回、現地を訪れ供養も行っている。
近世の沖縄は独自の王国体制を維持する一方、薩摩藩を管理者とする幕藩体制、および中国中心の国際秩序「華夷(かい)秩序」に両属する立場にあった。
明治維新後の政府は琉球を南の関門と位置付け、正式に日本に併合するため一八七二(明治五)年、王国を琉球藩とする旨宣告。対中関係の断絶などを要求し抵抗されるや七九年、王府・首里城に処分官が六百人近い軍と警官隊とともに乗り込み服従を迫った。
最後の国王、尚泰(しょうたい)は三月末、ついに城を明け渡し、約四百五十年続いた琉球王国は滅亡。四月四日、沖縄県設置が布告された。
◆繰り返される理不尽
明治政府が自ら「処分」の言葉を使ったように、この廃藩置県は一方的に強権をもって行われた。
忘れてはならないのは、沖縄を隷属させるかのような理不尽がその後も繰り返されていることだ。
地元の識者らは、本土防衛の捨て石とされた沖縄戦後の一九五二年、サンフランシスコ講和条約発効で本土から沖縄が切り離されたことを第二の琉球処分、米国統治を経て七二年、広大な米軍基地を残したまま本土復帰が行われたことを第三の琉球処分と呼ぶ。
そして、琉球新報が社説で第四の琉球処分、と表現したのが昨年十二月十四日の出来事である。
知事選や国政選挙で繰り返し示されてきた反対の民意を踏みにじり、安倍政権は米海兵隊新基地建設のため名護市辺野古沿岸に埋め立て土砂の投入を強行した。
「この光景は歴史に既視感を覚える」「歴史から見えるのは、政府が沖縄の人々の意思を尊重せず、『国益』や国策の名の下で沖縄を国防の道具にする手法、いわゆる植民地主義だ」。社説は鋭く歴代日本政府が沖縄に対し行ってきた構造的差別を追及する。
「沖縄には沖縄の民主主義があり、国には国の民主主義がある」 最近も岩屋毅防衛相が、沖縄県民を日本国民と見なさないともとれる発言をしている。
政権は歴史をまさに真摯(しんし)に振り返り、基地政策を抜本的に見直さなくてはならない。
ただ、責めを負うべきは政府だけだろうか。
約百四十五万人の沖縄県人口は日本の1%強。県土面積は1%足らずだ。そこに在日米軍専用施設の七割が集中し、危険な普天間飛行場を返還する代わりにとまた新たな基地を押しつける-。
その不条理を99%の側が自覚しなくてはならない。選挙などの機会を通して考え、声を上げたい。
日米安保体制を支持するならなおのことだ。
◆東アジアの懸け橋へ
玉城デニー知事は四月、米軍基地の運用を含め新たな沖縄像を探る場として、政府OBら専門家による「万国津梁(しんりょう)会議」を設ける。
万国津梁は、世界の懸け橋の意味。琉球王国の尚泰久(しょうたいきゅう)王が一四五八年に鋳造させ、首里城に掲げた「万国津梁の鐘」に由来する。
新元号を冠した新時代の始まりまで一カ月。玉城氏としては、明治、大正、昭和、平成と四時代にわたり続いた苦難の歴史に区切りをつけ、東アジアとの平和的な交易で国を富ませた琉球時代をモデルに県づくりを進める決意だ。
それを応援するのは本土側に住む私たち全員の役割である。
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【https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-898326.html】
<社説>廃琉置県140年 植民地主義から脱却せよ
2019年4月4日 06:01
140年前の琉球の人々が今の沖縄を見たら何と言うだろうか。当時から連綿と続く植民地支配のにおいをかぎ取るに違いない。
明治政府は1879年4月4日、琉球藩を廃し、沖縄県を置く旨を全国に布告した。「琉球処分」(琉球併合)といわれる廃琉置県である。これに先立ち政府は先鋭の武装警官や兵士ら約600人で首里城を包囲し、武力で威圧した上、尚泰王や官員らを城から追い出し占拠した。
「処分」の直接の理由は、中国との外交禁止と裁判権の移管を琉球が拒否したことだったが、政府は最初から併合を狙っていた。琉球の士族らは激しく抵抗する。抵抗運動は瞬く間に全県へ拡大するが、政府が派遣した松田道之処分官は集会の全面禁止を命じ、警察を使って運動を弾圧する。多くの役人を逮捕し、棒で殴るなどして拷問した。
「琉球処分」は井上馨大蔵大輔(現在の事務次官級)による1872年の建議書がきっかけとなった。琉球国王を「酋長」と蔑称で呼び、軍事の観点から琉球を「要塞」と位置付け「皇国の規模拡張」を狙う内容だった。琉球併合後、内務大臣の山県有朋は沖縄を日本帝国の南門とし「国防の要」として、日本海軍の国防戦略で最も重要な軍備対象の一つに位置付ける。
琉球王国の約500年の歴史に終止符を打った廃琉置県の布告から140年がたった。沖縄は何が変わり何が変わらないのか。
その間、沖縄は本土決戦に備える時間稼ぎのための「捨て石」作戦により、12万人余の県民が犠牲になった沖縄戦を体験した。その後、米国の統治下で広大な米軍基地が築かれ、反共防衛の「要石」にされる。日本復帰後も米軍基地は維持され、全国の約7割を占める米軍専用施設(面積)を背負わされている。尖閣諸島の有事などに備え、自衛隊配備の強化も進んでいる。
こう見ると、琉球併合後の沖縄は、日米の軍事的なとりでにされ続けている点では変わらない。基地被害に苦しむ住民の意思を無視し、抵抗を抑え付け、沖縄を国防の道具のように扱う様もそうだ。それはもはや植民地主義と言うほかない。廃琉置県の布告は、それによる支配の始まりと言うこともできる。
米軍新基地建設に向けた辺野古の埋め立てはその象徴である。沖縄の人々は知事選や国政選挙、県民投票などで何度も反対の民意を示してきた。にもかかわらず土砂の投入を強行し続ける政府の対応は「琉球処分」と重なる。
しかし沖縄の人々は県民投票を実施したように、自分たちの大事なことは自分たちで決めるという自己決定権を主張するようになった。それは言い換えれば植民地主義の拒否だ。沖縄の民意に沿って辺野古新基地建設を断念する。それが日本政府や本土の人々にとって沖縄への植民地主義と決別する第一歩になる。
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